料理をすることについて僕が思うこと その1

まがりなりにも2年ほど一人暮らしをしてきて、「自炊してる?」という質問には「ま、一応」くらいの答えが出来るようになった。ここらで少し、「料理をすること」について考えをまとめてみようと思う。

レシピは大事。

レシピは大事だ。レシピがあれば誰でもどんなものを作ることが出来る。それはあたかも楽譜があれば誰だってショパンを弾くことが出来る、ということに近い。

レシピを守る、というとなんだか難しいことのように思える。しかしレシピの一言一句を守る必要は、必ずしもない。重要なのは「分量の比率」「タイミング」「順序」である。この3点をレシピから読み取れさえすれば、細かい部分は省略したり大雑把だったりして構わないのだが、「順序」だけは省略することが出来ない要素である。

自炊を始めたころはこのことがよくわかっていなかった。例えば僕は、自炊を始めたばかりの頃、実家でよく食べていた「豚肉ともやしと卵の炒めもの」作ろうと試みた。材料はわかっているし、完成したものの見た目や味もよくわかっているのだがつ、レシピはよくわからない。材料を順に炒めていき、全ての材料に火が通ったら醤油で味をつける、という大まかな流れは分かっていたのだが、肝心の炒めていく順序はわからないまま、調理を始めることになった。

材料を切ったりしながら、なんとなくこんな感じかな、と浮かんだ手順で「豚肉ともやしと卵の炒めもの」を作り、完成したものを見て、そして食べた。

まずかない。まずかないけど、思てたの違う。

僕が思っていた完成品はこうだ。皿から箸でつかんで口の中に放り投げる。豚肉から肉汁あふれた肉汁と、もやしの歯触りのしゃきしゃきとを、炒められた卵のふんわりが包み込み、3者が一体となって口の中で踊る。たまらず、わしわしと白飯をかき込む。

しかし実際でき上がった炒めものはどうだろう。もやしも肉も溶いた卵でコーティングされてしまい、ぬめっとした口触りである。3者が一体となっているのだが、なりすぎてしまい食感も味も単調である。

手順を振り返ってみる。

豚肉を炒める。もやしを炒める。そして溶いた卵を鍋はだから回し入れる。

しかしこの手順で出来るのは、「豚肉ともやしの卵とじ」であって、「豚肉ともやしと卵の炒めもの」ではない。「豚肉ともやしの卵とじ」を食べながら、「卵は最初に炒めておくべきだった。炒飯を作るときのように」と、気づいたのだった。

順序は間違えてはいけない。それは何故か。僕なりの答えはこうだ。料理とは材料に火を通すことそのものであり、すなわち「火を通す順序」こそが料理の根幹であるからだ。