雪が降ると

雪が降ってきた。真夜中にかけて大降りになり、朝には都心でも積雪になるという。

立川は都心ではないですが、いや、都心ではないですから、きっと道は白く化粧をしてくれることでしょう。

雪が降るといつも、20年以上前のある日のことを思い出す。

東京都下で10年に1度くらいの大雪の日だったその日、僕は自分の家の屋上が雪で真っ白になるのを、生まれて初めて見た。

初めて見て何を考えたかなんて覚えていない。もう少し正確な言い方をすれば、そのときの感情を表す言葉を、僕はこの20年で忘れてしまった。それは僕が20年間まっとうに生きてきた証拠でもある。

記憶と脳について「記憶は車であり、脳は駐車場である」例えた人がいる。確か米長邦雄さんだった思う。駐車場に停められる車の数は限られている。新しい車を停めるには、古い車を外へ出す必要がある。

20年間で何台の車が停まり、何台の車が去っていったかわからない。きっと警備員も何人か入れ替わっていることだろう。僕はこのことについて悲しいと評価はしない。けれど、例えば雪が降るたびに、もうとっくに旅立っていったはずの昔の車が残したタイヤの跡を見つける。

「覚えていることが不思議なほど昔の光景」は他にもある。雪が降ったときと同じく、新幹線で修善寺の駅に着くたびに母や父や叔母とその駅に立った、やはり20年以上前のことを思い出したりする。

いまやそんな事実があったのかどうかさえ定かではないのだけれど、駐車場には跡が残っており、20年経ったいま僕はそれを見て「跡が残っている」と思うのだ。